○「テロ」という言葉が与える不安
林香里・東京大学大学院准教授は、11月26日付け本欄で「この事件の報道の仕方は、『読者に予断を与えた』ということにならないだろうか」と述べている。同感だ。予断だけでなく、読者に計り知れない不安を与えることにもなったとおもう。
英国の公共放送BBCの編集ガイドラインには、「我々の信用は、感情的な判断や価値判断を帯びた不用意な言葉を使用することで損なわれる。『テロリスト』という言葉そのものが、理解を助けるよりも障害になる場合がある。誰が行ったかが特定できない場合は、この言葉は避けるべきである」(日本語訳発行・日本放送労働組合放送系列)とある。信頼されるメディアになるためには、極力「テロ」を使わないというのだ。
ただ、今回、警察当局は当初、次官経験者を狙った連続テロの可能性があるとみていたようである。しかし、ガイドラインは、「我々は判明した事実をありのままに伝える一方、そういう特徴を述べるのは他の人にさせればよい。我々は他人の言葉を自分のものとして借用すべきでない。……我々の責任は、誰が誰に対して何をしているのかについて、視聴者自らが評価できるように、客観的な立場を維持して報道することにある」と述べている。
○麻生さんの“失言”はマスコミのせい?
言葉の使い方といえば、最近注目されるのは麻生首相である。
「未曾有」を「みぞゆう」、「頻繁」を「はんざつ」、「踏襲」を「ふしゅう」。そのほか「参画」を「さんが」、「措置」を「しょち」、「偽装請負」を「ぎそううけあい」(週刊文春11月27日号)。さらに「有無」を「ゆうむ」、「物見遊山」を「ものみゆうざん」(週刊新潮11月27日号)と誤読したというのだ。
極めつけは、医師不足への対応を問われ、「(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い」という発言である。
この失言に対し、精神科医の斉藤環氏は、マスコミの偏向報道が最大の要因だとし、「報道の偏向ぶりはまず言葉にあらわれる」という。その例示として、正しくは「受け入れ不能」にもかかわらず、「たらい回し」「受け入れ拒否」といった誤った言葉が、いまだに流通していると指摘する(23日付毎日新聞)。確かに、「受け入れ拒否」では、医師の数が少なく、過酷な労働環境で働く医師の現状を想像することはできない。
誤解を与える言葉としては、「ねじれ国会」もそうだ。ジェラルド・カーティス・コロンビア大学教授は、民主党が下院を、共和党が上院の過半数を握っている場合など、アメリカではこれは「ねじれ」でもなんでもなく、普通の政治状況であり、この場合「説得する政治」がなおさら必要であると述べている(「政治と秋刀魚」日経BP出版センター)。
「ねじれ国会」という言葉は、与党の「説得しない政治」の責任より、野党が協力せず審議がすすまないという野党の責任を問う言葉として、有効に機能しているように見える。
言葉の力は、強い。
セクシュアル・ハラスメント事件を扱っていて、いつも感じるのは、「セクハラ」という言葉がこの十年あまりで職場に与えた影響である。
言葉の使いようで、現状認識の障害となったり、問題解決の糸口になったりする。言葉の力を畏(おそ)れ、かつ信じることが、まずもって大切だとおもう。
Posted by Takumi

